愛と自己認証欲求とすごい人とコンテンツ


川上量生さんという面白くて凄い人を知った。

最初に知ったのはcakesの「川上量生の胸のうち」というコンテンツだったと思う。考えることがとてもとても面白く毎回連載を楽しみにしていた。(最近また連載が始まって嬉しい)

最高に面白かったのが
「ぼくがジブリで考えたコンテンツの秘密」

この本で一番印象に残ったのは、
ピクサーを見学したときに宮崎駿さんの息子の吾郎さんがつぶやいた言葉「この方法だと天才がいらない」

川上量生さんは最後に天才の定義をこうしている。

「天才とは自分のヴィジョンを表現してコンテンツをつくるときに、どんなものが実際にできるのかをシミュレーションする能力を持っている人である」

ピクサーのシステムに沿って言えば、川上量生さんがひどいな(笑)といいつつ使った「天才って安いシュミレーター」ということ。

この安いシュミレーターというひどい?言葉(笑)の意味は先の川上さんの天才の定義とこの本を読めばわかるけれど、そのあとに読んだ「ピクサー流創造するちから」を読むともっとわかる。

私は映画が大好きだが、ピクサーがすごい作品を次々に出せるのが何でか小さくもやっとしていた。

ピクサーには私のような一般市民にまで伝わってくるメインの監督、プロデューサーがいない。
例えばスピルバーグとかコーエン兄弟とかルーカスとか宮崎駿とか。ディズニーの遺産も使ってない。(この時点ではピクサーはディズニーから枝分かれした集団だと思っていた)アニメーションだからメインで人を惹き付ける俳優も使ってない。

物語が良くたって、俳優が良くたって、監督が良くたって、プロデュースが良くたって、つまらない作品に仕上がることはある。でも、そのどれも個々のすごい人、天才の名が一般人には届かずにいつもピクサーという集団から「コンスタントに」面白い作品が生まれている。なんでだろう。

その解がこの本でわかったのだ。

そのピクサーの創造する力のすごさの解は本を読んでもらえればわかるとして、
本題の愛と自己認証欲求とすごい人とコンテンツについて。

ピクサーは小さい頃からディズニーに憧れたエド•キャットムルが大学でCGを学び、運と優れた思考と正しい気持ちでピクさーという会社を作り、映画製作にまで発展させた会社なのだけど、その過程でスティーブ•ジョブズが大きく関わっている。と、いうか実質彼の会社と言うのかな?

ピクサー流創造するちから」ではピクサーがどのように作られてどのような試行錯誤で進歩してきたのか作品への製作スタンスが書かれているが、ジョブズの関わりも大きかったため「あのスティーブ・ジョブズだから」という理由でではなく、関わった人間として普通に登場している。

ピクサーと20年もの付き合いがあったジョブズが亡くなってしまったことで最後にジョブズについてのページがある。

以下長いけど引用。

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全体像をつかむのは本当に難しい。私はスティーブと四半世紀以上(ほかの誰よりも長いと思う)一緒に仕事をし、雑誌や新聞に見る「容赦ない完璧主義者」という描写や、彼自身が認めた評伝とさえ一致しない彼の人生の軌跡を見た。容赦のないスティーブ─ ─ 無作法で才能あふれるが感情面に鈍い男という最初の印象─ ─
 は、その人生の最後の二〇年間で別人に生まれ変わった。スティーブをよく知る我々は皆、その変化に気づいた。彼は他人の感情だけでなく、創造的なプロセスにおける価値に対しても敏感になった。この変化の一因は、ピクサーでの経験にある。実用的で、かつ喜びをもたらすものを創ることがスティーブの夢だった。それが世の中をよくする彼なりのやり方だった。それは、彼がピクサーを誇りに思っていた一つの理由でもあった。ピクサー映画のおかげで実際に世の中がよくなっていると感じていたからだ。彼はよく言っていた。アップルの製品はどんなにすばらしくとも、最後は埋立地にいく運命だが、ピクサーの映画は永遠に生き続ける。彼は私と同じように、ピクサーの映画が真実を深く掘り下げている
がゆえに廃れることはないと信じ、そこに魅力を感じていた。ジョンは、「人を喜ばせることの崇高さ」についてよく話すが、スティーブは、とくに晩年においてこの使命を心から理解し、エンタテインメントが自分の最も得意とする分野ではないことを自覚したうえで、関わることができて幸運だと言っていた。
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あの激しさを失うことはけっしてなかったが、聞く力をどんどん身につけていった。ますます共感や思いやりや忍耐強さを見せるようになっていった。そして本物の賢者になった。

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以上、引用おわり。

そして本物の賢者になった!
すごい。感動した。

それでね、思ったんです。
やっぱり世の中の心に響くすごい人には愛が欠かせないと。

ジョブズが賢者になったから凄いのではなくて、きっともともと愛は持っていたんだよね。賢者になるまで自覚も表現もできなかっただけで。

すごい人は愛を持ちビジネスに対して自己認証欲求がない。そしてビジネスに対して自己認証欲求がないからこそ、素晴らしいコンテンツや商品が生まれる。自己認証欲求がないということは作品に純粋なエネルギーを費やせる。

自分のためにではなく、何かのために。誰かのために。

これが、すごい人の基本。

これだけでは当然ビジネスはうまくいかないから、愛があるだけではビジネスは成功しないけど、やっぱ一般人にまで届くビジネス、コンテンツを造るには愛が欠かせない。

そしてさ、すごい人は自分の持っている愛に気付かないの。

誉められて嬉しい。それは当然あるだろうけど、そういうことではない。
愛がないから、愛を注ぐ対象がないから普通の人はマウンティングのパワーゲームでビジネスを動かす。パワーゲームが必要ないとは言わないけど、そのビジネスはどんなに大きくても、そこまででおわり。

すごい人には愛がある。

と言うことを、川上量生さんからも感じ取ったわけです。ピクサーからな説明になってしまったので意味不明になってしまったけど。

でもさ、ピクサーですらああやって何度も何度もてこ入れして作品への愛をスタッフが萎縮しないようにするんだから、人間ってめんどくさいよね。

だから技術だけでなく、そういう意味でも天才ってコストパフォーマンス良いよな。でもだからって天才本人が楽してるってことではない。

川上量生さんの定義、

「天才とは自分のヴィジョンを表現してコンテンツをつくるときに、どんなものが実際にできるのかをシミュレーションする能力を持っている人である」

とともに、

人間のめんどくささを知りながら愛を持って何かに集中できる能力がある人である。

と、私は思う。